ディズニーの長編アニメーションのひとつ、「ノートルダムの鐘」。
「God Help the Outcasts」は、その中でエスメラルダというジプシーの女性が歌う曲です。
とってもきれいな曲なのでぜひ一度はご覧あれ。
ここでは「God Help the Outcasts」の英語歌詞の解説をしています。おまけで翻訳も添えて。
好きな曲で英語の勉強したいな~という方のお役にたてれば幸い!
解説はいらないよ!という方は、すぐ下の「Contents」のリストから「和訳」のところまで飛んでくださいませ。
解説のおまけで添えた歌詞の和訳部分だけを置いています。
なので、曲を聴きながらでも訳を追いやすくなっているはず。
個人的には、直訳になりすぎない意訳をするのが理想……とか思ってるので、和訳もそんな感じです。ご了承くださいませ。
まえおき
解説は、英文そのものの解説と、歌詞が言いたいことのふたつを解説しています。
歌詞の解説は、解説というより個人的な考察です。これが正解!というわけではありませんゆえ、あしからず!
和訳に関しては、基本的に意訳がちです。
中には英文の理解のために意訳と直訳両方を書いてあるところもあります。
和訳と解説
英語部分の歌詞の引用はGenius Lyricsより。
Aメロ
I don’t know if You can hear me
Or if You’re even there
あなたがそこにいるのかどうかすら
がっつり直訳すると、
「あなたに私が聞こえるかどうか、私は分かりません」
「I don’t know if~」
「I don’t know if~」で「~かどうかは分かりません」といった意味になります。
せっかくきれいな曲なので、ここで使われているcanという助動詞の持つニュアンスを解説したいところ!
I don’t know if You can hear meというフレーズ。
ここに含まれるcanという助動詞のニュアンスをくみ取って意訳すると、「あなたに私の声が届くこと自体、可能なのかどうかも分かりませんが…」と言っています。
エスメラルダがこの曲を歌っているのはサンクチュアリ、聖域、すなわち聖堂です。
そしてこの曲はエスメラルダが神に向かって祈りをささげている場面を描いた歌です。
人々はこの聖堂の中で神に祈りを捧げます。でも、祈ったからといって明確な返答が返ってくるわけではない。
この部分のことを、この一節で歌っているのです。
そのあとに続く歌詞でも「Or if You’re even there」と歌っていますね。
まさに「神の存在が本当にあるのかどうかはわからないけれど」といったことを、曲の出だしから歌っています。
エスメラルダの思慮深さを察することができる部分でもありますな。
もしcanではなくwouldが使われていたら
ここで、もしcanではなくwouldが使われていたらどんなニュアンスになるのか、という部分を少し。
canという助動詞には、「物理的に可能かどうか」というニュアンスがある一方で、wouldには、「相手や自分の意志を尋ねる」といったニュアンスが含まれているのです。
なので、もし「I don’t know if You would hear me」となった場合。
その訳としては「あなたに私の話を聞いてもらえるかどうかは分かりませんが…」といった訳がとれます。
wouldの場合では、「あなたが話しを聞こうと思ってくれれば聞いてもらえるけど、話を聞いてくれる意志があるのかどうかは分からないなぁ…」といったニュアンスになるのです。
canとwouldは、この助動詞ひとつで英文全体が持つニュアンスが変わってしまう言い回しの代表みたいなものです。
おもしろいよね。
I don’t know if You would listen
To a gypsy’s prayer
ジプシーの祈りを
- you would=〜して下さる
- gypsy=移動型民族の人、放浪の民
- prayer=祈り、祈祷(名詞)
- pray=祈り(動詞)
would
上でも解説した「canとwouldの違い」がここにも出てきます。
ここでは、wouldが使われていますね。
つまり、先に説明した通り、「その意志があるかどうか」を尋ねている一説です。
wouldのニュアンスをくみ取って訳をとると、
「ジプシーなんかの祈りを聞き入れてくださるかどうかは分かりません」と言っているわけです。
先ほどの「I don’t know if You can hear me」というフレーズでは、「物理的に可能なのかどうか、本当に存在するのかどうかは分からない…」といったことを歌っていました。
続くこのフレーズでは、「あなたがいたとしても、ジプシーである私の祈りに耳を傾けてくれるのかどうかは分からない」と言っています。
神の存在がいると想定したうえで、自分のジプシーという身分に対して言及している一節です。
もしcanが使われていたら
さて、もしここの説にwouldではなくcanが使われていたらどうなるのか?というと、まず訳としてはこんな感じになります。
「あなたがジプシーの祈りを聞く機会を得られるかどうか、分からない」
とっても意訳です。
もし「I don’t know if You can listen to a gypsy’s prayer」と言っていた場合、この英文の前提の条件として「(神が)ジプシーたちの祈りを聞くための方法を持っていない」という状態があります。
つまり、「ジプシーの祈りに関しては、(物理的な問題で)聞いてもらえるか分からない」といったニュアンスになってしまうのです。
そこに神の意志は関係ありません。「手段があるかどうか」が問われているのです。
Yes, I know I’m just an outcast
I shouldn’t speak to you
あなたに語り掛けるべきではないことも
直訳気味にすると、こんな感じ。
「はい、私は、私がただの放浪者でしかないことを知っています
私はあなたに話すべきではない」
outcastの意味
「虐げられた身」と訳しましたが、outcastという言葉は「放浪者や追放人」といった名詞の意味だけではなく、「周りから除け者にされている者」といった概念的な意味も含まれているのです。
なので、がっつりと意訳すると「私がここにいるべきではないことは分かっています」といった日本語にも訳すことができる。
justという副詞
そして、I’m just an outcastという節の中にはjustという副詞が含まれています。
これは、justのあとに続く「an outcast」の部分にかかっていて、「除け者という存在である」ことを強調しているのです。
ここの部分のjustを日本語に変換するなら、「ただの~者です」といった言い回しでしょうか。
例をあげると、「拙者はただの流浪人でござる」という言い回し。「ただの」という部分が、この節でjustという副詞がもつニュアンスに該当します。
Still I see Your face and wonder
Were You once an outcast too?
あなたも、かつては虐げられた者であったのかしら、と
- still=それでも、なお、それにもかかわらず
- I wonder=〜かなぁと思う
- I wonder if=〜かどうか
- once=昔、かつては
once
実際の歌では区切られていますが、「I wonder were You once an outcast too?」という1文のセンテンスとして繋がっています。
そして、onceという単語。
これには「1度」という意味だけではなく、「昔は、かつては」といった過去の出来事を指す意味も持っています。
onceが過去の出来事を指す時に使われる場面はかなりあります。
特に、物語やおとぎ話の出だし。
例えば、「Once, there was a king.」という英文があったら「昔、一人の王様がいました」といった意味になります。
よく聞くフレーズとしては「Once upon a time」ですね。これはよく「昔々」という風に訳されます。
おとぎ話の出だしによくある「昔々、あるところに…」の部分がまさしくこのフレーズです。
「an」という冠詞のニュアンス
それと、outcastという名詞につけられた「an」についても少し。
outcastを単数で表すか、複数で表すかで、そこに含まれる意味合いが変わってくるのです。
ここではan outcastと言っています。なので、anの意味をくみ取った訳をすれば「あなたも、かつては虐げられた者の一人であったのかしら」といった訳がとれます。
ではこの文をそのままに、outcastという単語を複数系にしたらどうなるのか…というと、実はそのセンテンスは正しい英文ではなくなってしまうので、訳をとることができなくなります。
youという代名詞を「単数」である「あなた」ではなく「複数」である「あなたたち」と訳する場合のみ、outcastを複数にすることができるのです。そういうことです。
文章は関係なく、ただ単にoutcastが複数になった場合は、「複数の放浪の者たち」という意味もあります。
ですがそれ以外にも「不特定多数の」という意味も持つのです。そこに明確な人数はありません。
詳しくは次の節で解説します。
というのも、次の節でoutcastの複数形が「不特定多数」という意味で使われているのです。
サビ
God help the outcasts
Hungry from birth
生まれながらにして飢えに苦しむ者たちを
outcast
ここで使われているoutcastは、先に紹介した通り複数形になっています。
そしてここに含まれる意味合いは、人数ではなく「不特定多数の」です。
つまり、outcastsという単語ひとつで「虐げられる身分にある者は誰であろうと全員」を指しています。
さらに、outcastsという単語の前にtheという冠詞が付いていますね。
theが付けられた名詞の場合は、「ある特定のもの」を指す意味があります。逆に、theがついていない場合は「明確に指し示してる対象はない。別になんでもいい」といった意味合いになります。
outcastsが「不特定」多数を表していると説明しましたが、このtheがあるので「不特定」という部分には語弊が生じてしまいましたね。
恐らくここでエスメラルダがtheといって示しているのは、「仲間の他のジプシーたちや、カジモド」などなど、彼女の見知っているoutcastという身分の者たち全員を指しているためだと考えられます。
少しここでノートルダムの鐘を観たことがない方のために、この曲が歌われる前のシーンを紹介しておきたく。
ノートルダムの鐘観たことあるよ!という方は飛ばしてくださいな。
この曲は、主人公であるカジモドが民衆からいじめにあっているところをエスメラルダが救った、そのすぐ後に歌われる曲なのです。
カジモドは、聖堂前の大広間で見世物台に縛り上げられてトマトとかたまごとか投げつけられて笑いものにされてしまいます。この状況を止めに入った唯一の存在が、エスメラルダだった。
その時エスメラルダは、法の番人という立場にも関わらずこの状況を放っておいた判事を挑発して、その場から立ち去ります。ですが、その結果判事の怒りを買い、聖堂から出られない状況にされてしまう。
そこで、この曲が歌われるのです。
こういった状況のあとに歌われた曲であるので、このthe outcastsが指さんとする存在は、そういったところではないかなぁと思ったので場面の紹介をはさんでみた次第です。
Hungry from birth
そして、Hungry from birthという節。
上ではばりばりに意訳していますが、これを直訳にすると「生まれた時から空腹の」となります。
日本語として分かりやすいように意訳するなら「生まれながらにして貧しい者たち」がしっくりくるかと。
自分の場合はhungry という言葉に固執したので「飢えに苦しむ」と意訳しましたが、文全体のバランスをとるなら普通に「貧しい」とだけ訳した方が伝わりやすいかなとも思います。
godを使った英語フレーズ
ちなみに…。
歌詞には全然関係ありせんが、せっかくなのでgodを使った英語フレーズの紹介を。
「God help us.」というフレーズは「なんてことだ」という意味にもなります。
このusの部分は代名詞ならなんでも入れることができるので、状況に合わせてyou/me/him/herなどなどが使われるわけです。
そして、「God help me」は「神よお助けあれ」といった意味のほかにも、「情けないことに」という意味にもなります。
Show them the mercy
They don’t find on Earth
(それは)この地には存在しないのです
- mercy=慈悲、情け、容赦、恵み
- find=見つける、たどり着く
- on earth=地上に(生きている)
上ではごりごりに意訳しました。
直訳すると、こんな感じ。
「彼らにお示しください、慈悲を
彼らは(それを、)地球上では見つけることはない」
「They don’t find on Earth」
この部分のフレーズはとてもきれいな一節です。泣きそう。
エスメラルダはここの一節で、「地球上のどこであっても存在し得ないお慈悲を、祝福を、恵みを、どうか恵まれない者たちにお与えください」と神に向かって祈りを捧げています。
「They don’t find on Earth」という一節、ここでtheyが指しているものは「outcast(人々)」もしくは「mercy(慈悲)」のどちらなのかという話なのですが、解釈次第ではどちらにも取れます。
「outcast」を指す場合
まずは「outcast」を指す場合を考えます。
「outcast」を指すという根拠としては、theyという複数形で指せるものはこれまでの歌詞を踏まえると、「outcast」しかないからです。
この一節の直前にも「outcasts」と複数形になって出てきていますし、「show them」という節のthemは「outcast」たちのことなので、「They don’t find on Earth」のtheyも「outcast」たちを指していると考えられるのは自然な成り行きでもあります。
「mercy」を指す場合
そして、theyが「mercy」を指しているとも考えられる説。
この一節の直前に「the mercy」とエスメラルダが言っていますね。
ここで少し、名詞句の単数形と複数形の話を。
名詞の中には、複数を指す場合でも語尾に「s」がつかない名詞もあります。
例えば、sheepという名詞には、たとえ羊が10匹いようとも語尾にsが付くことはありません。
この「複数形になっても語尾にsが付かない名詞」のことを「単複同形」と呼びます。
さて、「mercy」は名詞句です。
単複同形という名詞が存在することを紹介しましたが、「mercy」はこれに当てはまりません。複数の場合は「mercies」となります。
なので、「They don’t find on Earth」のtheyがmercyを指しているというのは若干無理がある気もしますが、もしこのtheyが「様々な祝福」を指しているとしたら、可能性はなくもないのです。
主語になりえないという問題
ですが、こう考えた時にひとつ問題になるのは、mercyは生き物ではないので、この英文における主語になりえないという点。
「They don’t find on Earth」という文において、動作を行っているのは「they」です。
なので、もしこのtheyがmercyを指しているとしたら「祝福は地球上で~を見つけることができない」といった文章になってしまうのです。
が、今ここで見ているのはしっかりとした英文ではなく、歌詞です。
歌詞は、詩的に聴かせるために、省略や独特の表現をする部分がけっこうあります。
なので、ここでいうtheyがmercyを指しているという節も捨てきることができないのですね。
もし、theyがmercyを指していた場合、文章的には「Show them the mercy that don’t find on Earth.」といった英文になります。
個人的には、このtheyはmercyを指している、と思いたいところ。
詩的な表現ゆえの省略や区切りは、英語で書かれた歌詞を翻訳する時の難しいところでもありますね。
あ、それと、同じこの節に関してもうひとつ!
don’tという部分
「They don’t find on Earth」で使われているdon’tという部分。
ここが意外と大事な役目を担っています。文全体のニュアンスという面に置いて。
don’tは、「~しない」という意味です。
厳密には「~できない」ではないのです。
もし、ここがdon’tではなくcan’tだったなら、「見つけることができません」となります。
つまり、物理的に見つけることができないといった意味。
can’tだった場合は、「見つける可能性に巡り合えない。見つけるための手段がない」といった、「不可能である」という意味合いを含みます。
ですが、ここで使われているのはdon’t。
こっちはどういった意味合いかというと、「そもそも、ない」「できません」と言い切っているわけです。
どちらも似通った意味なので、かえって混乱させてしまうかもしれませんが…。
ざっくりと言い換えると、can’tは「不可能である」、そしてdon’tは「そもそも存在すらない」といったニュアンスの違いだと思っていてもらえたら。
Please help my people
We look to you still
彼らは神を、ただただ頼りにしています
- look to=目を付ける、見守る、期待する、頼りにする
- still=今もなお、静かにする、じっとする
- keep still=じっとしてる
直訳すると
「私の民をお助けください
私たちは、じっとしながら、あなたを頼りにしています」
look toの意味合い
look toをどういったふうに和訳するかでここは変わってくると思う。
ここでは「頼る」といった日本語にしました。
例文をあげると、「I look to him for help.」で「彼の助けを当てにしてる」といった感じ。
look toには「期待をする」といった意味もあるので、「まだ神の奇跡が起こることを期待しています」といったニュアンスで訳をしてもいいと思います。
God help the outcasts
Or nobody will
さもなくば、私たちに救いはないでしょう
直訳すると
「神よ、放浪者を助けて
または、誰もしない」
「nobody will」
「nobody will」と言っている部分が、直訳をすれば「誰もしない」といった訳にできます。
つまり、「誰もしない=誰も助けない」と言っているわけです。
「救いはないでしょう」の「でしょう」の部分は、「will」から来ています。
willは未来を表す言葉です。予想や予見などを表現するときに使います。
もしもwillがdoだった場合
もし、ここでwillではなく「nobody do」と言っていた場合は、全くニュアンスが変わってきてしまいます。
doは何かを言いきっている、断言するような表現なので、もしwillではなくdoが使われていた場合の訳としては「さもなくば、誰からの助けも一切ありません」と、言い切るようなニュアンスが出るのです。
でも、ここではwillと言っています。
willは「~でしょう」と、不確定な未来を表すニュアンスなのです。
なので、willのニュアンスをくみ取って訳をとった場合は「さもなくば、きっと救いはないものと考えられます」といった訳になります。
人々が歌うパート
I ask for wealth, I ask for fame
I ask for glory to shine on my name
我が名を輝かせるための栄光が欲しい
- ask=求める、尋ねる、請う、要する
- wealth=富、財産
- fame=名声、評判
- glory=栄光、誉れ、名誉
I ask for love, I can possess
I can possess
I can possessを直訳すると「私は所有することができます」といった感じ。
ここでのI can possessは、直前のloveや、wealth、gloryといったものにかかっていると解釈しての上の意訳です。
この解釈でもっと分かりやすい訳をとると、「私が自分のものとして所有できる愛・名誉を与えてください」と言っている。
I ask for God and His angels to bless me
直訳すると「私は、神とそして神の使いに、私を祝福するように請い願う」
エスメラルダが歌うパート(サビ)
I ask for nothing
I can get by
なんとかやっていけます
But I know so many
Less lucky than I
私よりも恵まれない
- less=より少ない、いっそう少ない(littleの比較級)
- luckless=不幸な、不運な(形容詞)
- lucky=幸運な、運の良い(形容詞)
直訳すると
「しかし、私は知っている、とてもたくさんの
私よりも幸運がない者を」
ひとつのセンテンスとして訳してみる
歌詞の区切りに合わせて訳してみましたが、ひとつのセンテンスとして訳すと「私は、私よりも恵まれない者たちを大勢知っています」になります。
ここもとてもきれいな歌詞なので、前の一節と合わせた訳をさせてください…。
彼女は「私が願うことは何もありません。自分の力でなんとかやっていけますので。でも、私よりもずっと恵まれない者たちが大勢いるのです。どうか、そんな彼らに祝福を」と言っているのです。
すてきな曲です。
Please help my people
The poor and downtrod
貧しく、しいたげられた者たちを
- poor=貧しい、貧乏な
- downtrod=踏みにじられた、しいたげられた
I thought we all were
The children of God
神の子であるはずです
God help the outcasts
Children of God
神の子である者たちを
和訳
曲を聴きながらでも歌詞を追いやすいように、上の解説部分で添えた和訳だけを置いておきます。
あなたがそこにいるのかどうかすら
あなたが聞いて下さるかどうかも分かりません
ジプシーの祈りを
ええ、私は虐げられた身であることは分かっています
あなたに語り掛けるべきではないことも
それでも私はあなたの顔を見て、考える
あなたも、かつては虐げられた者であったのかしら、と
神よ、虐げられた者たちを助けて
生まれながらにして飢えに苦しむ者たちを
彼らに祝福をお与えください
(それは)この地には存在しないのです
恵まれない者たちをお助けください
彼らは神を、ただただ頼りにしています
神よ、虐げられた者たちをお救いください
さもなくば、私たちに救いはないでしょう
私は富を望む、私は名声を望む
私は私の名を輝かせるための栄光が欲しい
私は愛を望む。どうかお与えください!
神よ、天使たちよ、我らに祝福を与えたまえ
私は何も願いません
なんとかやっていけます
私は多くの者たちを知っている
私よりも恵まれない
どうか虐げられた者たちをお助けください
貧しく、しいたげられた者たちを
私たちはみな
神の子であるはずです
神よ、虐げられた者たちをお助けください
神の子である者たちを
追記:2020/12/05
引用元のリンクが切れていたため引用部分含めリンクを改めました。
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